こんにちは。僕はポンです。

2013年6月7日。虹の橋を渡りました。僕は、2012年3月31日、ちょうど大雨の日に那珂市の国道349号を逆走して迷子になっているところを、電器屋さんに保護されたんだ。

電器屋さんが元の飼い主さんを探してくれたけど、見つからなかった。だから電器屋さんに頼んだんだ。

僕の元の飼い主さんに伝えてください、と。「僕は幸せだったよ」と一言伝えてください、と。

我が家の愛犬ポンのホームページです。2012年3月31日に迷子犬として保護しましたが、3ケ月経過後も飼い主不在ということで、我が家の犬になりました。その後、約1年。残念ながら、ポンは旅立ちました。わずか1年なのに、こんなにも寂しい思いは何なのでしょう。同じ時期、16年飼った犬も我が家にはいました。同じくらい寂しいのです。ポンには、きっと未練があったのだと思います。

本当の飼い主さんに最後、「一目会いたい」「僕は幸せだったよ」とそう伝えたかったんじゃないかな?と思っています。最後は、我が家に来てくれたものの、飼い主さんとは離れ離れになってしまったから。きっとそう思っているんじゃないかな?

ポンはもうこの世にいませんが、どこかでこの声が飼い主さんに届けば…そんな思いです。

ポンは、青色のバンダナ、赤色の首輪、そして、青色のリードをつけたまま、大雨の降る2012年3月31日、国道349号線を水戸方面に向かって逆走していました。場所は、茨城県那珂市中台南のあたり。

私は、那珂市に仕事で行く用事があり、雨の中、車を走らせていました。同じ車道をひたすら走ってくる小さな犬を見て驚くと同時に、「誰か助けるだろう」と他人事のように徐行して通り過ぎました。

でも、本当は気になっていたんです。バックミラーで何度も犬の姿を確認し、とうとう100mほど先の信号では、ここでこの犬が轢かれてしまったら一生後悔すると、なぜか瞬時にそう思い、車をUターンさせました。

次々と車は徐行して避けてくれたものの、ちょうど坂を上りきった国道、それも車道をひた走る犬に、もし1台でも気づくのが遅れた車があったら、ポンはもっと早くこの世を去っていたでしょう。私は、車を路肩から歩道に入って寄せ、激しく通る車に自分も注意しながら、片側二車線の国道で一匹の犬を保護しました。

犬も私もびしょ濡れ。しかし、仕事の途中ですからどうして良いのか分かりません。実は、野良犬は飼ったことがあるのですが、こうして迷子の犬と遭遇するとどうして良いか分かりませんでした。

それから間もなく、警察に連絡しようと思いつき、一匹の小さな犬はまるで刑事ドラマのように、パトカーの後部席に乗せられ、連れてゆかれました。ドラマと違ったのは、とてもやさしく乗せられたことでしょうか。

首輪もついている、リードもある。きっと逃げられたのだから、飼い主はすぐに見つかるはずだ。私は、直感しました。

しかし、その単純な予想は見事に外れ、わずか5日後には、警察署から預かりができなければ動物指導センターに回すと電話がありました。

調べると、茨城県で言う動物指導センターは、いわゆる保健所。飼い主が見つかなければ、命の最期を迎える場所でした。まさか!そんなところに引き渡すわけには行かないと、かと言って我が家には16年生活を共にする愛犬がいましたから、すぐに自宅で飼いますと即答ができませんでした。

でも、時間的な猶予がなかったことと、家族の理解があり、犬を引き取ることになりました。厳密には、落し物として、飼い主が現れるまでの3ケ月間、一時的に預かるという気の楽なものでした。すぐに飼い主が見つかると思ったから気が楽だったのです。

我が家に来た時の写真。2012年4月5日。飼う場所がなく、家の横に。我が家では、ポンちゃんという名前になりました。

家の裏手に移動。小屋を買うものの、生涯、一度も入らず。寒い思いをしないようにと、板で屋根を作ってやりました。

とにかく、我が家にきた当初は必至で食べていたのを思い出します。辛い思いもしたのでしょう。生きるために、本能的に食べていたような気がします。              

ただ、それがいけなかったのか?後ろ足や前足が開いてしまい、思うように歩行ができなくってしまうことが増えました。

暑かった2012年の夏が終わり、寒かった2013年の新年。我が家に16年もいた愛犬クーが旅立ちました。実は、ポンが来た時から声が出なくなりました。きっと、クーにはストレスだったのでしょう。              

クーがいなくなって3ケ月ほどは、毎日毎日クーのことばかり考え、ポンには悪ったですが、上の空でした。

それから、2013年3月31日。ポンが我が家にきてちょうど1年を機に、クーと同じようにポンもかわいがることが、クーの供養にもつながると思い、もともとクーが生活していた広い庭にポンを移動させました。              

それまでは、ポンはずっと家の裏側が寝床でした。

この頃、私には不安がありました。すでに立てなくなっていたクーの介護はその前の年から看取るまで続きましたが、これは愛情があったから全く苦になりませんでした。              

でも果たして、ポンにそこまで愛情が注げるだろうか?ポンには同情の念はあったものの、愛情は薄かったと思います。              

やがてポンにも訪れるであろう介護。本当に自分にできるだろうか?不安でいっぱいだったのです。

しかし、思いのほか早く試練はやってきました。クーが生活していた広い庭に移して1週間?2週間?              

わずかとも立たないうちに、ポンが歩けなくなったのです。              

あっという間に完全介護になりました。2013年5月の連休前後のことです。

日差しが強くなってきたこと、雨が降り出したこと、そんなことから、まずは、屋根を作ってやることにしました。              

いま思えば、どこにそんなエネルギーがあったのかと思いますが、ホームセンターで板を買ってきてポンのために屋根を作ってやりました。

老犬でしたが、すやすやと眠るこの姿はまるで子供のよう。              

きっと一生忘れない寝顔ですね。

しかし、寝返りも打てない状況でしたから、日に何度も、自営業の仕事を抜け出しては態勢の入れ替え、そして、自力で水が飲めませんから、水やり。              

ほかにも、少し改良を入れたおむつ。足をバタつかせて割れた爪の保護に靴下、床ずれの手当と、ほとんど前のクーでやってきた介護が役に立ちました

「長生きするんだよ」この言葉を日に何度もかけてやるのが、日課でした。              

私が介護をやめれば生きていけない。ポンも私に頼るしか生きていけない。義務で始めた介護からいつしか、こんなに可愛い犬になっていました。

しかし、とても水を飲む。おしっこの量が多い。多飲多尿。              

病気の疑いがあるのではないか?動物病院の先生にも相談し、5日分の抗生物質を服用させましました。すると、落ちた食欲もやや回復。持ち直したな、そう思っていた矢先でした。

2013年6月6日、木曜日。私は、仕事が休み。              

外出から帰って、なぜかいつもよりも長く、ポンを撫でてやりました。そして気づいたのが、今日はおしっこが少ない?いや、出ていない!?              

最寄りの動物病院もきょうは休み。「明日は病院に行くよ」とポンに声を掛け家に入りました。

体調が落ちているせいか、食欲の減退と同時に、すでにこの1週間は声がほとんど出なくなっていたポン。              

珍しく、夜10時頃、声を絞るように泣き叫び始めました。              

近所への心配と、ポンの心配と両方あり、ポンを玄関の中に入れてやりました。

翌朝、ほとんど食事を摂ることができなかったポン。              

いつものように歯磨きをさせて、「仕事から戻ったら病院に行こう」そう言い残して自宅を出ました。              

それから間もなくのこと朝の9時前後。携帯の電話が鳴り、それが自宅からの電話だと着信で分かると、瞬間的にポンが旅立ったことが分かりました。

午前の仕事を終えて、11時頃には自宅に戻りましたが、母からの知らせで分かっていた通り、ポンはもう旅立った後でした。              

涙が止まりませんでした。              

まだ温かく、柔らかい頬を何度も何度も撫でながら、ポン、ポンと呼び続けました。              

愛情を掛けてやれるか不安に思っていた犬。              

その覚悟もできないまま、義務で始めた介護。              

あっという間に旅立ってしまったポン              

こんなにも寂しくて、悲しくて、辛くて、愛おしく感じていたなんて。。。

ポンは、2013年6月7日、金曜日。そう、愛犬クーが旅立った、同じ金曜日。静かに、旅立ちました。              

まず体をきれにふいてやり、三日三晩、我が家のそばに置いてやりました。              

返ってくる言葉はなくても、何度も何度も、まるで生きているかのように話しかけて。              

夢なのか、現実なのか、よく分からない三日間でもありました。              

週が明けた月曜日。本当のお別れの時。それまで以上に悲しくて、涙が止まらなくて。              

仮の棺に入れたポンを載せた私の車は、田舎の祖母宅へ向かう途中、そう、ポンと出会ったあの国道349号線に向かいました。              

そこで、はっと気づきました。349号線へ通ずる道路。ポンと出会った場所。その道路を水戸方面に走ると、なんと我が家の前の通りだったのです。ポンを保護した場所と我が家の前の通りが一直線だったなんて。              

「まさか?我が家に向かって走っていたの?」それは分かりません。でも、我が家に来てくれてよかった。そう思うばかりです。


ポンは、いま、クーが眠るその隣に、仲良く眠っています。

元の飼い主さんへ              

ポンはどうして、飼い主さんとはぐれてしまったのでしょう。ポンはもういません。              

生前、ポンは、我が家の庭でよく遠くを見つめては寂しい顔をしていました。きっと、飼い主さんを想っていたのでしょう。飼い主さんもきっとポンを探していただろうと思います。でも、ポンは我が家にやってきました。              

我が家にやってきたのだけれど、どんな生活をしてきたのか?1年よりも前のことは分かりません。ポンにも、我が家で16年生きたクーと同じように、犬生があったはず。              

どんな足跡を残してきたのだろう?              

そして、ポンは飼い主さんにきっと伝えたいことがあったはず。それは、              

「ありがとう。僕は幸せだったよ」と。              

私は、最後の飼い主として、元の飼い主さんにポンの気持ちを届けたいだけなんです。              

ポンの家族、片岡良より


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