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管理人の部屋

格闘技好きと経歴

■小学生の頃
プロレス好き
テレビでプロレス観戦が好きでした。子供の頃は、まだあのアブドーラザブッチャーや、初代タイガーマスクなんかがメインを張っていた頃。テレビでは新日本プロレス、地元の興行(生の試合)では全日本プロレスが好きでよく観にいってました。「大人になったらプロレスラーになるぞ!」こんな夢を持っていた頃です。また、同じくプロレス好きの父の影響で「力道山」などのビデオもレンタル店で借りてはよく見てました。今見ても「熱い」ですよねぇ。

(余談エピソード)

プロレスといえば、女子プロレスを観にいったとき、近くのレストランで食事をしていたら当時メインに出場していた「ミミ萩原」選手がそばにいて、「サ、サインをください!」といったら、横にいたマネージャー?に丁寧にお断りを受けました。でも、テレビで見る選手に試合場以外で会えたことが記憶に残っています。

ブルースリー
ちょうどその頃、ビデオでブルースリーの「燃えよドラゴン」を見て、プロレスじゃあないけど、かっこいー!と感じてました。でも既になくなっていたことを知りガックリ。。。当時は、ブルースリーふぁん倶楽部にも入会してたのに。

ジャッキーチェン
ブルースリーの映画はビデオでほとんど観ましたが、その後、ジャッキーチェンのアクション映画にハマる。初めてみたジャッキーの映画は、確か10歳の頃、「バトルクリークブロー」という映画。この映画には、「オックスベイカー」というプロレス選手も出演してましたよね。当時、リングにもあがる現役の選手だったから覚えています。

その他
キックボクシングがまだテレビ放送していた頃で、当時は、「ベニーユキーデ」なんかも出てたと思います。

■中学生の頃
プロレス好き
ベストマッチは、「アントニオ猪木VSハルクホーガン」忘れられない試合です。

(余談エピソード1)

全日本の試合で、当時、スタンハンセンとブルーザーブロディがコンビを組んでいたことはプロレスファンの方ならばご存知かと思いますが、地元の会場に観にいっていたとき、選手入場の花道であのハンセンのチェーンに観客がわんさか近づき、当たったか?かすった客がいたんです。遠くからよーく見るとウチの父親でした。息子(私)とは別に見に来ていたようです(笑)

(余談エピソード2)

そう言えば、週刊プロレスの創刊号から200号ぐらいまで「宝もの」としてとっています。付録のピンナップは部屋中に貼り付けたもののまだあるような。

ジャッキーチェン
当時の好きな映画は、「ヤングマスター」。今見てもあのアクションには感動します。この頃、ファンクラブにも入会して、ジャッキーのありとあらゆるグッズを買いあさりました。いまでもお宝です。

リーリンチェイ
少林寺で人気を博したリーリンチェイ。今ではハリウッド進出して、ジェットリーですが、ジャッキーファンと同時にこちらにも夢中になってました。

(余談エピソード)

少林寺の映画を観にいったとき、売店で「酔拳」の教本が売っていたんで買ったんですが、冒頭のところで、バク転の図解があって練習を断念。子供にはできません!

その他
この頃、たしかボクシングの世界では「マービンハグラー」選手が活躍していた頃です。

■高校生の頃
空手
子供の頃はプロレス好き、そして格闘技の映画にハマリ、この頃には、空手に興味を持ち始め、15歳で空手道場に入門しました。

最大のきっかけは、映画「キョクシン」を観たことと、第十六回全日本大会(※黒澤選手が初優勝した試合)を見て、こ、これはすげぇー!と思ったことから。

高校3年間はみっちり稽古にあけくれてました。

・・・それから、25歳ぐらいまで空手を続けることになる。

柔道
当時、体育関係に勤めていたオジのすすめもあって、街道場の空手以外に、学校教育(まあ部活ですが)の中で何かスポーツをやったほうがいいと。

スポーツといっても格闘技にしか興味がなかったので、剣道か柔道かをすすめられ、迷わず「柔道」にしました。

こちらは16歳から。

そーいえば、学校の部活で「柔道」をやって、それが終わるとヘトヘトにも関わらず、「空手道場」にゆくという日々でした。

その他
そう言えば、マイクタイソンが初来日したときに、わざわざ田舎から東京ドームまで見に行きました。自由席だったので前日から行った覚えがあります。

■浪人時代
空手
大学受験を控えた間際、道場で後輩のけりを耳にくらい、鼓膜を破る。

こんなことじゃ、大学受験どころではなくなるので、一時休む。

柔道
柔道も高校卒業と同時に休むことになるものの、同じ高校の柔道部にいた弟と自宅で走りこんだり、縄跳びをしたり、チューブ引き、たまに乱取りなんかで体力作りに励む。そういえば、お年玉で「バーベルセット」を買ったのもこの頃。当時は、ベンチプレスとスクワット、カールなど大きな部位の筋力トレーニングのみやってました。

(余談エピソード 1)

翌年、大学に受かったら、「空手」と「柔道」の並行は難しいから、どっちかに絞ろうと。この頃は、「柔道」のほうが好きになってましたかね。

(余談エピソード 2)

そう言えば、いまパンクラスで活躍する菊田選手が高校時代、柔道で活躍していたのはこの頃だったかと。東京大会はテレビでもやってましたから、見てました。まあやはり強かったのは、世田谷学園ですが。

■大学時代
柔道
きちんと学業試験で入学したものの、どうしても柔道をやりたくて、坊主頭覚悟で「柔道部」の門を叩く。

・・・しかし、「ウチは、セレクション(推薦)だけだから一般入学では無理」と。

な、なに!!

どんなに根性があっても無理なんか!と思いましたが、やむなく近くの空手道場を探しそちらへ入会。

ちなみに、柔道のほうは、当時、東京都の理事を勤める先生が選択授業の体育教師だったので無理にお願いし、選択科目で「柔道」を在学中ずっとやらせてもらいました。経験者や、入れなかった柔道部の連中もいて結構楽しかったです。

空手
柔道部に入れなかったので空手道場に入会し、25歳ぐらいまで空手をやってました。

(余談エピソード)

この頃は、空手以外にもよくキックボクシングを後楽園ホールに観にいってました。当時は、立嶋選手なんかが活躍してました。後にシンサックビクトリージムの前田憲作選手なんかも活躍することに。